最近はTVの中で、若い子達の話す言葉にかろうじてニュアンスは伝わるが、
正直意味不明で、おじさんと言われればそれまでだが、これを言葉の乱れ
と感じる自分がいる。(かく言う自分もずいぶん言葉が下手だが・・・)
しかし、それは何も現在に始まった事ではない様な気もする、昔で言う
方言や粋な言葉など、もしかしたら当時の風習の中では奇異な言葉で
似たり寄ったりの感覚だったのかもしれない。
ただ、そういう言葉の文化もその時代その時代の風習を作り上げて
きた事になるのだろう。そもそも、文化や社会基準というものは、細分化
すれば人の個の意識の問題でもある。
しかし、「人間は二人以上集まると社会になる」と言われるくらい関係作り
が難しいものだから多数が生活する現代社会になるとモラルや個人意識
といった事だけでは足らず、どうしてもルールや規律というものが必要に
なってくる。現在、さまざまな科学や技術、またそれらに伴う高度な教育
によりできあがったデジタル的な社会は、便利で快適になったと同時に
昔にはなかった障害や問題を引き起こしている。
インターネット、携帯、移動手段の発展向上、24時間体制の販売、
物流システム、医療技術、家電品、住居、レジャーなどいたる所に
ハイテクや技術が適用されより高度で快適な街づくりが急速に発展した
ここ最近、その社会背景により核家族化が進み、先代が残してくれた
モノの価値観が大幅に変化し、個を優先するといった集団・団体生活と
個人・家庭生活という境目がはっきりしてきたということだろうか?
私たちが小さかった頃、ここまで孤立、競争的な社会では無かった、
どちらかと言うと映画「3丁目の夕日」のように近所の方の交流があり、
おかずを分け合ったり、一人暮らしの方がいればかわるがわるで声を
かけたり、子どもなんて遅い時間で歩いていたりなんかしたら近所の
おやじに怒られて、気づいてみたら家庭や学校だけでなく社会や地域に
育てられたようなものだった。
そういえば映画でもそうだが、昔は夕日がやけに赤かったような気がする
技術が進み街の明かりが明るくなったという事なのだろうか?
もしかしたら心の問題も少しはあると思う。夕日がキレイと昔ほど思わなく
なったのかもしれない。時代は確実に変わったのだ (_ _;)
小学生の頃、自転車で道を走っていると車にクラクションを鳴らされ、
車をうるさいな、危ないなと思っていたが、今度は大人になってから車で
道を走っていると、自転車で走っている学生を危なく、邪魔だと思ってしまう。
そう思うのは私だけだろうか?ゆえに、人が人のことを評価するのは難しい
そんな事を思う。何かあるとすぐ批判をし、足を引っ張るような事せずに、
人と人が心底話し認め合う。現代の競争社会に個々のコミュニケーション
がとても大事になるという事。
これから子どもたちが作り出すであろう新しい時代に、先代が作り上げた
素晴らしい風習や精神文化を基礎とし、より革新的で、よりグローバルな
文化のいわば良いとこ取りをし、日本の素晴らしい文化の上積みとなる事
を願わずにはいられない。
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